「悟る」という言葉のイメージ

これまでの記事を読んでいただけるとわかると思いますが、僕がヨグマタジの瞑想を始めた理由は、「悟りたい」というような高尚なものではなく、「楽になりたい」「今の苦しい状況を打開したい」というようなものでした。

「悟り」には以前から興味がありましたが、それは自分が悟りたいというよりは、悟った人の言葉から自分の苦しい状態を改善するヒントが得られるかもしれないという期待からでした。

なので、少し恥ずかしい話ですが、「悟る」という言葉からイメージされる「全ての欲望・執着が抜け落ちた状態」は、自分の意図するところではなく、今自分が抱えている「欲望」が全部なくなってしまうとちょっと困るんだよな、と思っていました。

すごく貧乏だったことはないのですが、なんとなくいつもお金に余裕がなく、好きなものを買って満足しているという状態になったことがなかったので、「もっとお金を稼いで好きなものを買って、満足してみたい」・・・・というような思いや、「いい仕事をして、もっと評価されたい」・・・・というような思いがあったので、そうした願望が叶う前に欲望自体がなくなってしまったら、何ともつまんないではないか!と考え、欲望が落ちすぎることに対する恐怖心、反発心のようなものがありました。

でも、実際に瞑想を実践して3年半が経ち、欲望・執着が落ちていくほど、以前持っていた物質的な願いや仕事上の願いが少しずつですが叶えられていくという、当初考えていたのとは逆の不思議な現象が起きています。

あまり詳しくないのですが、「引き寄せの法則」とかで言われている「過剰な欲望・執着を持っていると、それが欠乏状態を作り出すエネルギーになってしまう」みたいなことなのかな、と思います。

ヨグマタジがよく話されることですが、物質的なものやお金は死んだ時にあの世には持っていけない、地位や名誉も同じこと。
それらには、死んだ後も続いていく霊魂と同じような価値はないとわかった上で、手に入ったものに感謝をし、それにこだわりすぎない。

そうしたことが大事なんだよな〜と、思います。