「松本人志の放送室」を聞いて思ったこと

前回の更新から相当間が空いてしまいました。

久しぶりに、以前の自分の記事を読み直してみて、「いま苦しんでいる人に、ヨグマタの瞑想のことを知ってもらいたい」という思いで書いたものでしたが、「我ながら、結構いい内容かも」と思いました。(自画自賛すみません)

このサイトはいちおう訪問者の数がわかるようにしていて、訪問者0の日もありますが、少数ながら訪れて読んでくださっている方がいるようです。
藁をも掴みたいと苦しんでもがいている人がヨグマタジに繋がるキッカケになれば、本当に嬉しいです。

それでは今日の話題です。

結構前に、YouTubeで「松本人志の放送室」(ダウンタウン松本人志と、その幼馴染で放送作家の高須光聖のラジオ番組)を聞いた時に、興味深い話がありました。

松本:「それにしても、子供の頃からの癖っていうのは治らんもんやな〜。居酒屋行って料理が出てくるやん、それ見るともう、食べたくて食べたくて仕方がなくて、いじきたないな〜って自分でもわかっているんやけど、どうしようもないねんな」

高須:「わかる〜」

松本:「ご馳走を前にして、なんの興味もないみたいな顔して、なかなか箸をつけようとしない奴を見ると、ほんまにかっこええな〜と思うわ。俺にはぜったい無理や」

高須:「育ちええんやな〜って思うよな!俺も絶対ムリや。」

松本:「浜田なんてもっとヒドいで!うちもそこそこ貧乏やったけど、あいつんとこは桁違いやったからな〜。意地汚さも桁違いや!」

・・・・みたいなことを話していました。(関西弁はまちがってるかもです汗)

これを聞いた時、「あっ、自分もそうだったけど・・・・、いまは治っているな」と思いました。

そして改めて、ヨグマタジの瞑想の凄さを感じました。

松本人志や浜田雅功ほどのお金持ちになっても、やはり子供のころに潜在意識に定着した「ひもじい」という思いは消えてなくならないんだな〜と、思います。

僕の場合は、ご飯が食べれないひもじさではなくて、「もっと愛情が欲しい」「もっと自分のことを理解して欲しい」という「ひもじさ」だったのだと思います。

とにかくそういう思いは、通常、子供の頃に心に根付いたら、なかなか消えることはないのだと思います。

はっきり言うと、死ぬまで抱え続けることになります。

僕も、ヨグマタジと出会う前は松本人志と全く同じことを思っていました。
ご馳走を目の前にしても平然としていられる人のことが羨ましく、「自分には絶対ムリだわ」と思ってました。

僕は、今では、ご馳走を目の前にして平然としていることができます。
(もちろん、お腹が空いていたら早く食べたいと思いますが、なんと言うか、純粋に食べたいだけで、そこに以前はあった「意地汚さ」がないという感じです)

ヨグマタジのおかげで自分に起こった奇跡の数々の中では、自分にとっては正直あまり大したことがない部類のものですが、松本人志や浜田雅功ほどのお金持ちになっても解決できない問題(当人は問題とは考えていないでしょうが、どちらも経験している自分から言うと、「意地汚さ」は消えた方が心地よいですよ^_^)だと考えると、このこと一つをとっても凄いことだよな〜と思います。